命の大切さを伝えたく、れいらの生きた証を記します。とりとめのない文章ですが、動物と暮らしている方、これからお迎えするかもしれない方にも、読んでいただけたら幸いです。

~れいらとの出会い~

2014年06月13日 双子の兄弟で誕生

2014年09月27日 ペットショップ「ボビー」で初めて出会う

2014年10月12日 我が家の一員になる

初めてペットショップで出会ったキミは、周りのわんこよりも大人しく、静かだったね。ポメラニアン=すごく吠えるというイメージだったけど、黙ってケージの中でこちらを見つめていたね。

「まま」は結婚した当初から、いつかは「黒のポメラニアンを飼いたい!」と言っていた。だから結婚11年目の頃に、黒のポメラニアンを探したんだよ。数カ所のペットショップに黒のポメラニアンがいたけど、最後は「もも」(娘・当時小学5年生)の「この子(れいら)じゃなきゃ嫌!」という一言で、我が家にお迎えしたね。当時を振り返るだけで、涙がこぼれ落ちそうになる「ぱぱ」です。

「れいら」と一緒に過ごした6年間は、一生忘れません。「ぱぱ」とは一番一緒にお家にいたね。「ぱぱ」はお家で仕事だから「まま」が仕事に行っても「もも」が学校に行っても、いつも一緒。休みの日は「ぱぱ」と「まま」と一緒に、大好きな「パンダ公園」「ひまわり公園」「澄川北緑地」「トヨタ自動車のドッグラン」など、他にもいろんな公園に行ったね。

「ぱぱ」が車に乗るとき「れいら」は助手席に乗っていた。「ドライブ行く?」って言ったら「行く行く!」と。「れいら」はドライブ大好きだったね。

1番遠くへ一緒に行ったのは、留萌の海。

2番目に一緒に遠くへ行ったのは「北湯沢のホロホロ山荘」。

3番目に一緒に遠くへ行ったのは、支笏湖の湖畔。

ボール遊びが大大大好きだったね!投げたら嬉しそうに取ってきたね。待て、お座り、ふせ、お手、おかわり、バッキューン、コテン、上手だったね。末っ子の「れいら」は長女の「もも」と、毎日一緒に寝ていたね。家族で「ご飯にするよー」って言ったら、テーブル下の「れいら」専用のベッドで、みんなが食べ終わるのを待っていてくれたね。

「れいら」の性格はね、臆病だけど好奇心いっぱい!素直で聞き分けのある、本当に優しい女の子。そして家族の言葉や喜怒哀楽が理解できる子。言葉がわかるから「ぱぱ」「まま」「もも」の喜怒哀楽を察知して、怒っているときには「怒らないで」って言うし、悲しんでいるときには「一緒に遊ぼうよ!」って誘う。犬とは思えないほど、人間の言葉や感情を読みとる、かしこい末っ子だったね。

そんな人間の言葉がわかる「れいら」だったのに、人間は〝犬のれいら〟のことがわからなかったよ。というか、わかろうとしなかったんだ。。。と今はつくづく思っているよ。というのも「れいら」が虹の橋を渡る2カ月ほど前の2020年9月、10月の頃…大好きな散歩をしているときに、急に止まってお座りをして、休むようになった。

いま思えば、血液の病気はここから始まっていたんだね。きっと酸素不足で「疲れた」「歩きたくない」って言っていたんだね。だけど「ぱぱ」は「れいら」のことをわかってあげられなかった。もう1つ、この頃から食事に時間がかかるようになった。病気で筋肉が落ち、噛む力が弱くなっていたんだね。だけど「ぱぱ」は「れいら」の不調に、まだ気づいてあげられていなかった。

本当は疲れて休んでいたのに「頑張って歩こうね」ってリードを引っ張ってしまった……ごめんね。筋力が低下して食欲がなかったのに「噛んでゆっくり食べられるようになったね」と解釈していた。そんな勘違いをせず、早期に病院に連れて行ってあげられていたらと……後悔が募ります。

2020年11月20日

普通にボール遊びしていたね!このときはまだ、こんな事態になるなんて思ってもいなかったよ。

2020年11月21日20時頃

「ぱぱ大変!れいらが血尿してる!!」ってままが叫び声を上げた。このときはまだ、普通に歩けていた。

2020年11月22日9時頃

すぐに「シーアニマルクリニック」へ連れて行った。この時点ではまだ、車で病院に行く時に「ドライブ?やったー!」って感じだったね。助手席から運転席に来て「だっこして!外を見たいから!」って言ってきたね。そしてこの時点での血液検査は、ちょっと赤血球の値が少ないけど、正常値だったね。

2020年11月22日18時頃

食べるときにしっぽが下がり、ゆっくりゆっくり噛んで食べていたね。食べたいけど食べられないってことが、伝わってきたよ。

2020年11月23日9時頃

朝一番で、シーアニマルクリニックに連れて行った。赤血球の値がわずかに異常になった。この時点では病名はわからなかった。競走馬が走ったあとに血尿をするらしく「れいら」も「筋肉ダメージ等で血尿が出たかもしれない」という診断だったね。

2020年11月24日6時

この頃から動くのが辛くなってきたね。朝9時にシーアニマルクリニックへ行ったね。ここで病名が「自己免疫介在性溶血性貧血」の中でも超特殊な難病、と言われたね。発症率は免疫介在性溶血性貧血では0.104%程度だけど、それよりも難病で稀な病気とのこと。

この病気は自分の免疫が異常暴走して、自分の赤血球を自分自身の免疫で壊す。そして赤血球が壊されると、当然酸素が体中にいかなくなり、呼吸困難になって死んでしまう。なぜ「れいら」が、こんな超低確率の難病に侵されなければならないのか?この時「ぱぱ」と「まま」は病院内で、大号泣してしまった。

先生からは「選択肢は1つしかない。輸血しなかったら、あと1時間、2時間後には亡くなります」と言われ、緊急で輸血をしたね。輸血をしたら少し持ち直したけど、1時間、2時間経過するにつれ、呼吸が荒くなっていくのがわかったよ。

2020年11月24日18時頃

ドッグフードを口に持っていくも、食べられず、こぼしてしまったね。食べたくても身体が受けつけてくれない。大好きなごはんを「れいら」が食べられなくなるなんて。この日から「ぱぱ」と「まま」は、1時間交代で看病をした。鼻にカテーテルを通し、そこから注射器のようなシリンジで、流動食とお薬(免疫抑制剤)を投与したね。この時から「れいら」は、ぐったり動けなくなってしまった。

「れいら」は和室で寝ていたけど、深夜12時頃、和室から5m位離れているリビングのトイレに行こうとして、力を振り絞り、よろよろ・よろよろ…しながら、自力でトイレに向かった。具合が悪いのに、自らでトイレに行こうとするんだよ。純粋で素直なれいら。きっと具合が悪い中「粗相したらダメ」と思っていたのでしょう。「れいら、大丈夫だよ!」って抱っこして、トイレをしたね。れいらのいじらしい姿に心が打たれ、涙が流れたよ。

深夜12時を過ぎると、病院に行くまでの9時間が、相当長く感じたね。人間が長く感じていたということは「れいら」はもっと長く感じていたのだと思う。本当に生きようと、生きようと、生きようとしていたね。「れいら」自身が「奇跡」を起こそうとして、死に対して抗っていた。この日は本当に、長い長い夜だった。

2020年11月25日朝9時

ようやく、ようやく、ようやく朝になり、すぐに病院へ行って、輸血後2回目の血液検査をした。結果は酷い状態。輸血をしたのに、赤血球の値が異常値になっていた。通常の溶血性貧血だったら、輸血をすれば、1週間程度は持ち直し、ご飯を食べられる状態になる子もいるという。1週間毎に輸血をして、お薬の免疫抑制剤を投与し、1カ月、2カ月単位で免疫を正常にしていく…という治療ができるのだが「れいら」の超特殊な難病は、たった1日で輸血が必要なほど、赤血球が壊され、溶血している状態。供血犬を数頭集めなければ、すぐにでも死んでしまう状態だった。

「ぱぱ」がフェイスブックを使い、ドナーを呼びかけたところ、わんにゃんハート様、他30名以上の供血犬の飼い主様から、お申し出を頂いた。本当に感謝しました。
ありがとう。ありがとうございます。これだけ集まれば、輸血を続け、免疫抑制剤が効いてくれば、持ち上げることが可能ではないか…という思いでした。

2020年11月25日18時~20時

近くに住んでいる、おじいちゃん、おばあちゃんも「れいら」の看病にきました。
「れいら」は特におばあちゃんが大好きだったから、本当に嬉しかったね。おばあちゃんの家に行って、おやつをもらうことが大好きだったからね。

おじいちゃん、おばあちゃんが帰ってからは、本当に苦しそうになりました。もういつ死んでしまってもおかしくない状態。息が苦しそうで、1呼吸1呼吸が苦しそうで、いつ呼吸が止まってもおかしくない……。「ぱぱ」と「まま」はそのときが来るのを覚悟しました。深夜11時~12時頃には「ぱぱ」・「まま」・「もも」「れいら」家族みんなで一つの部屋にいました。カテーテルを鼻に通し、左前のおててには、痛々しい輸血用の針を止めるピンクの包帯。エリザベスカラーの間から頭をなでなでしながら「れいら」「ありがとね」「がんばったなぁ」「いいこだね」と、もう長くは生きられないことを覚悟し、最期の言葉を伝えました……。

それでも「れいら」は頑張りました。この日の23時~翌朝まで生きていたことが、奇跡だったと思います。25日、病院へ行ったときの血液検査で、先生からは「この数値で生きているのは、すごいこと」と言われていたから。「れいら」は奇跡を信じて、戦っていたと思います。

2020年11月26日朝6時

呼吸がゆっくりで苦しそう。虹の橋に行く手前だとわかるほどでした。最後の最後の最後まで、生きようと頑張っていたね。ちっちゃな体で。

2020年11月26日朝9時

「ノア動物病院」へ行き、2回目の輸血。病院に到着するのが奇跡だと思いました。
それくらい衰弱していましたから。「れいら」の「生きたい!!」という生命力を感じました。それから「れいら」は独りぼっちで、9時から18時まで、長時間の輸血に耐えました。お迎えに行ったときは、衰弱しきった様子から立ち直り、目力が戻り、呼吸も楽そうになっていた。これは本当に奇跡が起こるかも…って思ったんだよ!!
それくらい、上向きになっていたと感じました。

2020年11月26日18時30分

ノア動物病院からシーアニマルクリニックに行って、輸血後の診断。先生に会ったときは、目力があり、上向きになってきたね、という感じだったが、それは突然やってきた。会計をしているときでした。急に「れいら」の呼吸が荒く、苦しそうになったのです。会計をせず、再度先生に診てもらいました。〝アナフィラキシーショック〟らしき症状とのこと。アナフィラキシー対策の注射を打ってもらいましたが、最終宣告をされてしまいました。「多分、今夜が山です」

「ぱぱ」と「まま」は泣き崩れました。30分前は奇跡が起こるかも、というほどに目力が戻っていたので、信じられませんでした。呼吸が苦しいまま、家に戻りました。昨晩、最後のお別れをしたこともあって、帰ってからは涙が出ませんでした。

奇跡を信じて「ぱぱ」は「れいら」の全身に気功を送ることにしました。ネットに〝犬・気功〟というのが掲載されていたので、真似をしました。「治れ!!」「持ち上がれ!!」「ぱぱの寿命を10年、れいらにあげるから」と、ドラゴンボールの悟空ばりに右手に気を集中し「れいら」の身体に送り続けました。「れいら」も最後の力を振り絞り、頑張っていました。

しかし、最後のお別れの時が来ました。「ぱぱ」がリビングへ免疫抑制剤と流動食を取りにいったときでした。和室から「まま」の小さな声がしました「れいらがーーー…」慌てて「れいら」の傍に向かいました。「れいら」の呼吸が、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりになっていきました。まだ目は開いています。

「ぱぱ」は「れいら」のちっちゃな心臓に手をあてました。最後の呼吸をして、もう次の呼吸に移ることはありませんでした。でもまだ心臓は動いていました。家族3人で「れいら」「ありがとう」「本当に頑張ったね」「奇跡を起こしたね」「ありがとう」と、れいらのおててを握り、頭をなでなでして、涙を見せずに看取りました。呼吸が止まってから1分くらい、心臓の鼓動がありました。その1分間は「れいら」の最期の奇跡だったと思います。

2020年11月26日 午後11時頃

内沢れいら 6歳 永眠

「れいら」と会って「ぱぱ」は、優しくなったと思います。車の運転はスピードを出さなくなったし、人に対しても、犬や動物に対しても、丸くなった。それは命の尊さを「れいら」に教えてもらったから。

そしてなぜだか犬の表情を見ると、犬の言葉がわかるようになった気がします。なんて言っているのか、わかるようになったかもしれません。

短い間だったけど、本当にありがとう。また会おうね。「れいら」虹の橋では元気いっぱい遊んでね!!

Fromぱぱ・まま・もも

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